株の配当金を狙った長期投資を実体験を踏まえて研究。

 住商からビジネスレポートが届いた。


 毎回、展開する各種事業を紹介してくれ、事業が身近に感じられるようになる。


 住商を始め、総合商社は投資先であると同時に、投資という点では自分の目標でもある。


 自分の組んだ投資ポートフォリオで、商社の事業ポートフォリオの長期の成績を上回れると、かなり嬉しいはず。


 負けると、商社株だけをじっと持ってた方がよかったねという話。


 虚脱感は大きいので、負けたくね~。


 住商は、金融危機以降、がっちりとホールドしたまま売買なしの状態。


 現在の投資スタイルとして、上がって含み益が出れば、そのまま上に行かせる方法を採っている。


 つ・ま・り、住商は含み益が出ているのであ~る、ぐ~ふ~ふ~ふ。


(↑ 当然のことながら、ポートフォリオトータルでは、現時点で損が出ていることは秘密である。)


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続きだよ


 会社法の改正案で、社外取締役の設置義務づけが経済界の猛反発によって見送られたそうだ。


 どうでもいい、というのが今の感想。


 不正や不祥事が連発する中、義務づけに反対するなんてと憤慨される個人投資家さんも多いとは思う。


 でも、社外取締役を設置するよう義務づけたところで、企業統治が良くなるとは思えない。


 社外取締役そのものが形骸化する場合だってあるからだ。


 例えば、社外取締役に経営者と旧知の仲である、どこかの会社の会長さんとか、どこかの弁護士さんとかを連れてきたとする。


 この人たちは形式的には会社の株主からお金をもらって経営を監視することになるわけだが、実質的には経営者の仲良しグループの一員であり、実効的な監視監督を望むのは無理というものだろう。


 形式上は株主からお金をもらっているとしても、実質的にそれを決定しているのは経営者だからである。


 旧知の仲である上に、実質的に金までもらっている人間に、面と向かって「おかしいぞ」なんて言える人がどれくらいいるだろうか。


 どこの誰を呼んでくるのかを経営者に委ねたままで社外取締役設置を義務化しても、さしたる意味はないんじゃないかな。


 究極的には、業務の妥当性・適法性を監視監督できるような独立した専門機関に適切な人材をプールした上で、そこから株主総会の求めに応じて取締役候補を派遣していくのがいいと思っている。


 こんな制度は、自分たちが自由に候補を決められるはずの社外取締役の設置ですら嫌がる経営者が賛成するはずがないので、実行できる可能性は皆無に近いとは思うけど。w


 なお、この問題は社外取締役だけでなく、本来、独立性を要求されるはずの監査人、監査法人、会計監査人といった人にもいえる。


 会社経営者が誰にするかの選択に関わっている限り、本当の意味での独立性は達成できないんじゃないだろうか。


 オリンパス事件でも、損失隠しの経緯で監査法人の変更があったことは記憶に新しいところだ。





 そもそも公開会社は世界中のあらゆる人が株主になりうる形態の会社であり、実際、年金や生保、銀行、投信などを通じて実質的な株主になっている。


 そんな「社会の公器中の公器」である公開会社で、「経営の自由度」を強調されても、不祥事や腐った経営を見てきた身としては、自由の前にまず「責任と規律」を重んじてくれといいたくなる。


 どうも、経営者の方々の多くは、会社の株式を公開することの本質的な意味を理解されてないんじゃなかろうか。


 自由にやりたいなら、株式を上場して公開する必要などなく、非公開会社としてやっていけばいいのである。


 YKKやサントリーなど、立派な非公開会社も多数存在する。


(サントリーは、赤字続きのビール事業を抱えたままで株式を公開することは、株主に対して責任がとれないという理由で、上場を控えているなんてな話を読んだことがある。上場会社のどれくらいが、このように資本に参加してもらう不特定多数の株主に対する責任を認識しているだろうか。)


 会社経営適正化のための制度であれば、公開会社なら喜んで率先して導入するべきもののはずであるが、そうならないところをみると、日本の株式市場にはいわゆる公開会社は少ないのかもしれない。


 経営成績が公益社団法人かと思うような状態なのも、仕方のないことなのかな。


 赤字をタラタラ垂れ流す企業に至っては、株主に対する責任をどのように考えているのか、甚だ理解に苦しむ。


 なんにせよ、制度的な保障のない現時点では、個人投資家としては経営の適正化について、代表取締役やその他の取締役の能力と人間性に多くを委ねるしかない。


 ここに確信を持てなくなったら、さっさと撤退する方がいいと思う。